ある「卒業」のお話〜フラ(ダンス)に捧げた日々の終わり〜

 

フラのイメージ

最近、プロフィールに書き足しをしました。

ほとんどピアノのことしか書いていなかったのですが、趣味の範囲を超えて真剣に学んでいた「フラ」の項目を加えました。

「ピアノ」と変わらないほどの文字ボリュームがあります。

プロフィール

 

私がピアノを始めてから50年以上。

フラはまだ10年に足りません。

それでも、今の時点で自分の半生を振り返ると、この2つは同じくらいの重みをもって私の中に根を下ろしています。

特に、最もフラに傾注していた時は文字通り我を忘れるくらい練習しました。

ピアノの弾き方を忘れたらどうしようかと思ったほどです。😅

 

 

「‥あれ?ここの管理人てピアノの先生じゃなかったっけ。なんで突然フラダンスの話に?」

ですよね〜。

 

ここから先はただの自分語りです。

お時間のある方だけお付き合い下さいませ。

プルメリア

 

私はかなりの運動音痴で、小中学校時代は運動会が苦痛なタイプでした。

走るのは遅く、ドッジボールは逃げ回ってばかり、跳び箱とか平均台とか怖くて仕方ありません。

そんな私でしたが、ダンスの授業は楽しかったです。

男子と手を繋ぐフォークダンスでも、体育大会で練習させられる学年ダンスも、自分で振りを考える創作ダンスも。

体育がずっとダンスならいいのにと思ったほどです。

身体能力の低い私でも楽しめる唯一の運動でした。

 

その後は音楽の高校から大学へと進んだため、スポーツなどとは無縁の日々を過ごすことになります。

大学が遠かったため、それどころではなかったと言う事情もあります。

コレではまずいと一念発起したのが子どもが幼稚園に入った時。

身体が空いたので、友人に誘われて地域のスポーツセンターで行われる無料のジャズダンスクラスに参加しました。

が、テンポが速く、動きにキレが必要なジャズダンスは運動音痴の私には無理だったようで、通うのが苦痛になりやめてしまいました。

好きなダンス系なら楽しく続けられるかと思ったのに、どんだけ運動神経が鈍いのかとがっかり。

一生スポーツとは無縁の人生を送るものだと思っていました。

 

状況が変わったのは子②が中学生になったあたり。

お腹のあたりの贅肉がどうにも気になりはじめたのです(笑)。

やはりこのままではまずいと感じ、今度は入会金と月会費の必要なスポーツジムに入会しました。

やめられないように自分を縛るためです。

ジムにはダンス系だけでなくヨガやストレッチのクラスがありますし、ランニングマシンに乗って走っているだけでも良いと思いました。

 

ですがこのランニングマシンがまた退屈で(呆)。

走りながらあくびが出ます。

困ったものだとプログラム一覧表を眺めていると、フラダンスのクラスがあるのを発見しました。

 

ああ、フラダンスね。あの頭に花とかくっつけて、ムームー着てゆらゆら揺れながら踊るヤツね。

そういえば近所の70代のおばあちゃまも習っていたような。

音楽の感じも動きもユルいし、あれなら私にもできるかも。

そもそもフラダンスなんて、お年寄りでも踊れるものみたいだし。

いくら私が鈍くても40代なんだから楽勝でしょう。

 

無知とは恐ろしいものですが、ともあれ。

運動不足と贅肉の解消を目的に、クラスに参加しました。

最初に習った曲は「月の夜は」。

フラの初心者が必ず習う曲です。

歌詞が日本語ですし、踊りも極めてやさしく、こんな私でもすぐに踊れる(とりあえず動ける)ようになりました。

なんだ、やっぱりフラってカンタン。私でも楽チンに踊れる!しかも楽しい!

‥というわけで、毎週クラスに参加するようになりました。

ウクレレ

 

が、しばらくは楽しく踊っていたのですが、そのうちにだんだんと物足りなくなってきました。

ジムなのだから当然なのですが、一人ひとりの姿勢を直したり、段階的に上達するように指導してくれるわけではありません。

鏡に映る自分の姿は、YouTubeなどで見かけるイベントでのフラダンサーたちとはあまりにもかけ離れています。

おかしいなあ、カンタンな踊りのはずなのに。

 

そんなわきゃあない。

もしかして、フラもピアノと同じで専門の教室に通わないと上達できないのでは。

そう思うと矢も盾もたまらないのが私の性格。

たちどころに通うに適当な教室を探し当て、さっそく体験レッスンへ。

その場で入会を決め、フラダンサーを目指す生活が始まったのです。


そこは、レッスンの初めにお祈り「オリ(’Oli)」から始まる本格的な教室でした。

このようなフラ専門の教室のことを「ハラウ」または「ハーラウ(Hālau)」といいます。

「教室」とか、「学校」のような意味合いです。

そう、フラは単に習うものでなく「学ぶ」ものだから。

 

新しい曲を学ぶ時は、必ずハワイ語の歌詞カードが配られ、先生の解説を聞いて、みんなで読み合い、それから踊り方に入ります。

フラは歌詞の内容を手の動きで手話のように表現し、足でリズムをとって踊っていきます。

上半身と下半身で異なる動きを要求されるため、実はかなり難しい踊りなのだとわかったのはここからです(笑)

しかも、単に体を動かすだけでなく、学ぶことはたくさんあります。

 

ハワイの神話、歴史、王国の興亡。

ハワイ諸島それぞれの特徴、自然、固有の植物や鳥。

ハワイ語の読み方や発音、簡単な文法。

どれも興味深く、あっという間に日にちが経っていきました。

フラダンサー

 

そんなこんなで一年ほど在籍したところで、先生から「クプナ(Kupuna)、『年配者』」クラスへの移動を求められました。

ところが、そこは始まりの時間が夕方で、私の仕事とはどうにも都合が合わないのです。

そして、当時まだ40代だった私は、クラスの平均年齢が65歳くらいだったのにも少々違和感を感じました。

若い人の多い初級クラスにいた時とは違い、先生は明らかにくつろぎモード。

「このクラスはラクだわ〜」などとおっしゃる。

90分のレッスンのうち、半分近くがおしゃべりで終わってしまうこともありました。

何しろクラスの最高齢の方が75歳だったため、その方に合わせるとそうなってしまうようです。

 

‥いや、だがちょっと待って頂きたい

私は、本格的にフラを勉強したいから教室に入ったのではなかったか。

お月謝をお支払いして交通費をかけて通っているのに、レッスンがおしゃべりで終わるのは納得がいきません。

そして、一度疑問を持ったが最後、直ちに状況を改善すべく動き出すのが私です。

 

ネットで検索して当たりをつけた、比較的通いやすい別の教室へ行って体験レッスン。

当然その場で入会を決め、前の教室の先生には「仕事が〜」と言って退会しました。(早っ)

さっさと決められた理由は、レッスンの始まりと終わりの時間がまちまちだった前の教室と違い時間厳守だったこと、ベーシック(基本的な足の動き)をしっかり教える方針であること、踊りの雰囲気がカッコよかったこと、でしょうか。

フラダンスのフリにカッコいいも悪いもないだろうというのは一般的な感覚だと思いますが、実は大いに関係アリなのです。

以前の教室の、しっとりとした女性的なフラも素敵でしたが、力強い雰囲気の今回の教室の方が自分の性に合っていると感じました。

 

教室を移ってからは、もう夢中。

どっぷりハマりこみました。

練習すればするほどフラは奥が深く、目標はどんどん大きくなっていきました。

この頃、ピアノの練習を昼間に、フラの練習を夕食後にと、自分なりに頑張って両立させていたと我ながら思います。

 

努力の甲斐があり、初級クラスから中級クラスへ、さらにコンペティションに出場するクラスに入れて頂き、文字通り死に物狂いで練習しました。

 

「フラダンスの練習ごときに死に物狂いとかそんな大げさな(苦笑)」とお思いかもしれません。

でも私はすでに若くなく、他のダンスやスポーツに興じた経験もありません。

ハイレベルのクラスについていくためには練習するしかなかったのです。

幸い大きな怪我もなく、上手な方々の末席に加えて頂きながら大きなコンペティションにも出場させて頂きました。

インストラクターの資格まで取りました。

もしかしてこのまま、ピアノの先生を辞めてフラの先生になる未来もありえるのだろうかとさえ思ったものです。

 

でも、そうはなりませんでした。

熱狂的な日々にはいつか終わりが来ます。

ピアノ教師としての自分と、フラダンサー、時にはインストラクター見習いの自分。

この2つを両立させるには、私はあまりにも不器用でした。

一番悩んだのは、ピアノ教師としてお月謝を頂きながら、自身は以前のようにピアノを練習する時間が取れないでいるという事実です。

やはり、どちらかを選ばなければならないようです。

そして、その答えは自ずから決まっていました。

プルメリア

 

フラはあくまでインストラクター見習いであったのに対し、ピアノは今も生徒さんが何人も通ってきてくれています。

自分の迷いのために彼ら彼女らに迷惑をかけるわけにはいきません。

インストラクターは退職、コンペティションクラスも退室して、一教室生として趣味でフラを続ける道を選びました。

それからはとても気楽に踊れるようになりました。

初めて、心からフラを楽しめるようになった気がします。

 

そして今、私はハラウ(教室)を退会することを決めました。

フラでやりたかったこと、憧れていたことを全てやり切ったと感じたからです。

「本格的にフラを学ぶこと」、「フラダンサーとして舞台に立つこと」、「デパートなどの商業施設で踊ること」「ハワイで踊ること」「コンペティションに出場すること」「フラを教えること」「フラを心から楽しむこと」‥

フラに関する全ての夢は叶いました。

これ以上、何も望むことはありません。

 

これで、1つの区切りとしよう。

自分にとって大切なものを終わらせることで、新たなスタートをきり、また前に進んでいくための糧としよう。

そう思い、フラを「卒業」させて頂く事にしたのです。

 

初めてスポーツジムで「月の夜は」を習ってから今年で10年になります。

厳しくも楽しく、やりがいを感じることのできる日々でした。

仕事の他に、これほどまでに打ち込めるものを得られた私は幸せ者です。

 

そして、私をここまで導いて下さった先生方に心から感謝しています。

フラの楽しさを教えて下さった先生。

フラの美しさ、優雅さを教えて下さった先生。

フラの力強さ、あるいは人生を変えるほどの可能性を提示して下さった先生。

グループで踊るフラならではの約束事や、人との調和の大切さを教えて下さった先生。

こういった先生方や、先輩たち、一緒に学んだ仲間たちのおかげでここまで打ち込むことができたのだと思っています。

 

思いのほか、長い自分語りになってしまいました。(汗)

ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。

フラは、私の人生に明らかに良い影響を与えてくれました。

ある1つの習い事が、人を幸せにできるのだという見本ですね。

 

願わくは、私自身もそんな指導者でありたいと思っています。

 

お読み頂いてありがとうございます。

 

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